森耕治の西洋美術史論「受胎告知」
「受胎告知」 レオナルド・ダ・ヴィンチ、1472年~1475年 ウフィツイ美術館
“天才”レオナルド・ダ・ヴィンチは、寡作の画家としても知られ、デッサンを除くと、十数点しか現存しません。その貴重な一点である「受胎告知」は、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の中でも最も初期に描かれたものであり、彼のデビュー作とみなされています。ただし画面上には、到底同一人物ではありえない技術上の不一致が見られます。当時ダ・ヴィンチが働いていたヴェロッキオ工房には多くの画家が所属しており、近年の研究では、「受胎告知」が彼らの合作だったとの見方が強まっています。また、使われた技法はテンペラ(板の上に主に卵黄に混ぜた顔料で描く)と油彩画の併用であって、油彩画技術史の観点からも、大変興味深いものがあります。
ダ・ヴィンチは恐らく16歳の時に、フィレンツェの代表的画家の一人、ヴェロッキオの工房に入り、22歳の時に、サン・ロック組合(画家ギルド)に加入を認められました。しかし、当時の習慣で、その後も親方であるヴェロッキオの下で、アシスタントとして働いていました。
アンドレア・ヴェロッキオ
この「受胎告知」は、ダ・ヴィンチが、画家ギルドに加入した直後に、ヴェロッキオ工房の名で制作されたと思われます。工房の名で制作されただけに、ヴェロッキオの画風を忠実に守り、聖母や背景の木々、遠くの青白い山々等も、ヴェロッキオの作品の要素を手本にして、それらを巧みに組み合わせています。またダ・ヴィンチ自身も若かったためか、技術的にいくつか未熟な点が露呈しています。
しかし、後の「モナ・リザ」を思わせる聖母の肌の表現や、背景描写からうかがえる並外れた空間処理能力、そして作品全体から伝わってくるインパクトには、ただならぬものが感じられます。
たとえダ・ヴィンチが参加した「合作」だったにせよ、それは、歴史を塗り替えた巨匠の第一歩であり、そこに、彼の技術的、思想的バックグラウンドの一端を垣間見ることができます。
「聖書のバックグラウンド」
「受胎告知」のエピソードは、新約聖書「ルカによる福音書」の第1章に、以下のとおり書かれています。 ——許嫁のヨセフの家にいたマリアに、主から遣わされた天使ガブリエル(画面左)は、右手の人差し指と中指を立てて、祝福を与えながらこう言いました。「アヴェ・マリア。おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる。」画面上に示された精霊(赤枠内)
突然現れた天使に、マリアは驚く様子もなく、左手を上げて挨拶を返しています。愛想の良い返礼かもしれませんが、こういう場合は、自分の胸に手を置く方が、信心深さが強調できるものです。さすがに、工房による合作という表現上の困難さは否めません。
さらに天使ガブリエルは、続けてこのように言いました。「あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダヴィデの王座を下さる。」しかし、「私は男の人を知りません。」と言って困惑するマリアに、天使は答えました。「精霊があなたに下り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」
この絵を解説する際、たいてい見落とすのが、この精霊です。天使ガブリエルの言葉からも理解できるように、聖母は精霊によってイエスを身ごもりました。したがって「受胎告知」には、精霊の存在が必要不可欠なのです。一見、画面上にはどこにも精霊の姿が見えませんが、画面左上の空を注意深くご覧下さい。白い雲に見えるのは、実は白く輝く鳩の姿であり、これこそがガブリエルの言う精霊なのです。
「場所設定」
聖書上は、受胎告知が婚約者のヨセフの家の中で行われた、という理解が一般的です。しかし、この絵における場所設定は、聖母マリアの「閉ざされた庭」という意味のHortus conclusus になっています。
この「閉ざされた庭」というのは、聖母が穢れた世界との関係を断って暮らしたと伝えられる、庭のある宮殿のことです。旧約聖書の「雅歌」第4章12節に記された「私の妹。花嫁は閉ざされた園。閉ざされた園、封じられた泉」という箇所を典拠としています。「閉ざされた」という言葉は、聖母の純潔さを暗示すると解釈されます。
受胎告知の場所設定を、マリアの「閉ざされた庭」にするケースは、決して多くありませんが、15世紀前半に活躍した、フィレンツェの巨匠フラ・アンジェリコの描いた「受胎告知」でも同様の設定がなされています。
「画面概略」
画面は3つの部分に分けることができます。まず左の天使ガブリエルと庭。次に右の聖母と書見台に建物。3番目は背景の木々と河、それに青白くかすんだ山々です。
「天使ガブリエルと庭」
主から遣わされた天使ガブリエルが、聖母の前で片膝付きながら、聖母に祝福を与えながら受胎を告げています。天使には、鳥の羽を模した翼がついています。左手で持つ白百合は、聖母が穢れを知らないまま、イエスを懐胎したという純潔さを表しています。工房作であるために、100%の確信をもって、ダ・ヴィンチが画面全体を一人で描いたとは言えない中で、この天使の部分は、右腕と白ゆりのデッサンが現存しており、ダ・ヴィンチが描いたことは間違いないでしょう。 ただし、天使の部分は、X線写真にはシルバーホワイト(鉛白)の使用跡が映っておらず、反対に聖母の箇所には、シルバー・ホワイトが使用された影が現れています。このシルバー・ホワイトという鉛を主成分とした白色顔料は、15〜19世紀前半まで、油彩画において、常に明るい個所を描く際に、下描きの段階から、その明るさに応じて塗られてきました。 当然、シルバー・ホワイトの使い方には、個々の画家特有の筆致が現れます。それにもかかわらず、右の聖母には、全体的にシルバー・ホワイトが使われているのに、左の天使には全く使用されていません。言い換えれば、聖母と天使は、別々の画家によって描かれたと判断できます。もし天使が主にダ・ヴィンチの手によるものだとすれば、聖母は師匠のヴェロッキオと、別の弟子が描いたと推定できます。 少なくとも、天使の右腕の袖の襞と、地面に垂れた赤い衣の襞の表現には、ダヴィンチの卓抜したデッサン力が認められます。 ダ・ヴィンチが描いたと考えられる天使(上)と右袖のスケッチ(下)
次に地面に注目してください。使用された顔料の「緑土」が暗色化して黒ずんでいますが、制作当初はもっと鮮やかな緑であったと思われます。また数多くの白い小さな花が咲き誇っていますが、それは主に春に咲くマーガレットです。マーガレットには「無垢な」とか「純粋さ」といった花言葉があります。天使の持つ白百合と一緒に、聖母の純粋性を表していると考えられます。
「聖母」
前述のとおり、天使と聖母は、技法上の根本的な相違点から、別々の画家が描いたと考えるのが妥当です。ただし、一番大切な聖母の顔の部分だけは、その完成度の高さから、工房の親方だったヴェロッキオの手になると思われます。 さて、天使ガブリエルが現れた時、聖母マリアはテラス上で、旧約聖書を書見台(ラテン語でLECTRINUMと呼ばれる)に置いて読んでいました。左手で天使に返礼する聖母は、右手を聖書の上に置いたままです。その右手は実際よりだいぶ長く描かれています。このデッサンの狂いを見る限り、別の弟子が描いたのではないかと推測されます。 書見台が置かれている石の台に注目してください。これは、親方のヴェロッキオが、1469年に死去したメディチ家の当主ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチのために制作した、大理石の棺の、四隅につけられたブロンズ部分と同じ意匠です。つまり、「受胎告知」の意匠の一部に、棺のデザインが用いられていたことになります。 また、聖母の頭部を赤外線写真で観察すると、顔の両側が、白い霞のようなもので覆われていることがわかります。これは、現在では見えなくなっている薄い半透明のベールです。書見台の台座(上)とピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチの棺(下)
次に聖母の顔に注目してください。透き通るような肌色と立体感は、ヴェロッキオが描いた、「聖母子像」(ベルリン絵画館所蔵)においても認めらます。この透き通るような肌色の表現は、褐色塗料による正確な下描きと肉付けの上から、シルバー・ホワイトに少量のヴァミリオン(辰砂)を混ぜて、非常に薄く塗り重ねることによって得ることができます。この技法を究極的に突き詰めたのが「スフマート画法」であり、後にダ・ヴィンチの最高傑作「モナ・リザ」へと昇華していきました。
ヴェロッキオ 作「聖母子像」(ベルリン絵画館)
「背景」
背景の前面には、トスカナ地方でよく見かける松、ニレ、糸杉がシルエットのように描かれています。 背景の右側を注視してください。右側には、河口に面した大きな町が描かれています。その向こうには、青白くかすんだ高い山々が見えますね。このかすんだ山々を表現する空気遠近法は、前述のヴェロッキオ作「聖母像」(ベルリン絵画館所蔵)の背景でも使われています。 次に背景の左側、天使の翼の下側を注意深く観察してください。ここには、山上の要塞と、その向こうには丘の間を流れる別の河が描かれています。つまり、絵の舞台となった、聖母の「閉ざされた庭」は、2本の河川の間に位置することが理解できます。これは、旧約聖書「雅歌」に記された「閉ざされた園、封じられた泉」のイメージに一致します。つまり、一見、装飾的に描かれたような背景にも、立派な宗教的意味合いが込められていたのです。右側の背景。河口の町が精細に描写されている。
左側の背景。山上の要塞と河の流れが見える。
森耕治
京都出身。美術史家。
マグリット美術館が併設されているベルギー王立美術館の公認解説者。
ベルギー、ポール・デルボー美術館の公認解説者。
京都嵯峨芸術大学客員教授。美術愛好団体「絵画の会」の常任講師。